ハンドメイド

昨日の祝日はサーキット走行を予約していたが、朝6時半頃に電話をいれた。
「すみません、体調を崩してしまったので今日の予約走行はキャンセルしてください」と、そんなふうに。この8年間ではじめての体験だった。
快く、「わざわざご連絡くださいまして、ありがとうございます」とお返事を頂戴した。

夕方15時ごろに先週土日、モトクロス・鈴鹿フラットトラックを一緒に走ってくれたマシンを三男修大と一緒に自宅近所のガソリンスタンドに運んだ。
いつものように「バイクの洗車をさせてくださいね」と言った。
すると快く、いつものように「どーぞ」と返ってくる。
「修大君、しっかり洗車するんだよ」とおじさんがおっしゃってくださる。
トランスポーターも土埃でクチャクチャだ。「お手数をお掛けしますが洗車もお願いします」と伝えた。「実は先週末はうっかり助手席の窓を開けたままランチタイムまで気が付かなかったので、車内にも土埃が入り込んで大変だったんです」とも。

マシンを修大と洗車させていただいているとトランスポーターがガゾリンスタンドの大きな掃除機の前にやってきた。
スタッフの方がホウキを持って荷台に入って行き、掃除をしてくださっている。その後でエアガンで車内の土埃を飛ばしてくださっている。そんな光景を見た。ガソリンスタンドのおじさんが若いスタッフにこんなことを言っているのを耳にした。
「そのシートを水洗いしてちゃんと脱水機をかけてから荷台にひくんだよ」と。「その上にはバイクが入ってくるから、水で濡れたままではダメだよ」と。


洗車が終わると修大がこんなことを私に言った。
「パパ、今日は先に帰るから。ネックブレイスとヘルメットも綺麗にしたいから」と。
しばらくするとガソリンスタンドの若がやってきた。
「修大はちゃんとお礼を言って帰って行きましたか」と伺った。すると「いつもありがとうございますと言いに来てくれますよ」と返ってきた。

自宅に帰るとなにやらヘルメットを加工している修大を発見した。
「先週のモトクロスはそうでもなかったけど、鈴鹿ダートは凄い土煙だったから鼻や口に土が入らないようにする」と言っている。



写真は加工している修大の様子。



さすがに昨日は堪えた。
つくづく感じた。
周りの皆さんのご協力があったから私は8年間もサーキットに毎週土日行くことができたんだ。


夕食前にヘルメットを磨きながら修大がこんなことを言った。
「パパ、辻村猛選手が引退した。」と。
間髪入れず、辻村猛選手のコメントを修大に読んでやった。
涙を堪えながら。

「お世話になった皆様へ…

いつもお世話になっております。

 突然ではございますが、私 辻村猛は平成21年1月をもちまして、プロフェッショナル二輪レーサーを引退する決意を固めました。
 私も二人の子供の父親となり、下の子もようやく保育園に入る年齢となりました。二輪業界はもちろん、世界的な不況の折、このままプロとして二輪レース界に携わることは、一家の主として、父親として、なかなか難しい状況と判断し、結論に達しました。
 また、自ら感じましたことは、ここ数年、マシンの進歩には著しいものがあり、技術的に、また肉体的になかなか追いついていけていないという自覚もございました。さらに精神的にもモチベーションが維持できず、実生活のことも含め、重々悩み抜いた末の結論であります。
 過去には世界ランキング3位にまで上り詰め、全日本選手権での年間チャンピオン、また2006年には念願の鈴鹿8耐でも優勝を飾ることができ、ライダーとして思い残すことは何もありません。悔いを残すこと無く、二輪レース界から身を引けることは本意であり、多少の負傷はあったものの、五体満足なままライダー人生を終えることができることはこの上ない喜びでもあります。
 これからは日本のトップライダーとして生活してきた経験を活かし、一般の社会人として幸せな家庭を築き、二輪業界からは一切身を引き、新たな気持ちで新たな生活を送って参る所存です。
今までの皆様からのご支援を感謝しつつも、今後も一般社会人としてご指導、ご鞭撻を受け賜わりますよう衷心よりお願い申し上げます。

本当にありがとうございました。

平成 21年1月吉日
辻村 猛」


ふと思い出した。
「猛は天才だった」とおっしゃていたことを。

動画は先週日曜日の鈴鹿ダートの様子