ある雪の日の日記

この日、私の20年来の恩人が鈴鹿サーキットに来てくれました。実はこの恩人とは修大とサーキットへ行き始めた3年前から私は姿を見せてませんでした。
皆さんにお話させていただきたく思い、恐縮ですが以下に原文を添付します。

「先日は大変な一日だったけど、刺激的な機会だったので良かったです。Z軸の空環で生きて行くには極端な生き方が必然なことも理解できました。
ところで、温泉に入った時、1人で修大君が足を湯につけながらボッーと しいていた処を見たけど、ちょっと淋しいそうに見えました。
余分なことだと思うけど、レーサーとしてではなく、子供として見てますか?
子供と死に別れる覚悟でレースに向き合ってると言っていたけど、俺はそんな覚悟は出来ない筈だと思ってる。
俺なりに見てきたつもりだけど、たぶん「そう決めた!」と言うと思うけど、まだ、受け入れてはないと思うけどな。
強くならないといけないのは、長谷川だけで駄目なのかな?
元来おせっかいだから、正直に伝えときます。
親子でガンバッテいる姿は本物だったなぁ〜。それが確認できた事が良かったです。」
(雪で大変だったけど行った甲斐がありました)



私はこんな返事をしました。
> 余分なことだと思うけど、レーサーとしてではなく、子供として見てますか?
> 強くならないといけないのは、長谷川だけで駄目なのかな?
最初の3年間は子供として見ていたような気がします。
しかしちょうど1年前から現在のバイク(白や青のバイク)にステップアップし、毎週土日にタイムをドンドン削り、ベストタイムを更新して行く走りを見守りながら、

修大が少しづつ私の手元を離れて行くように感じはじめました。
私は「ハラハラ、ドキドキ」してることしかできなかったからです。

その頃から「子供として」ではなく一人のレーシングライダーとして見るようになって来た様に感じます。
「子供として」見ていると「今直ぐにでもバイクをやめさせよう」と思ってしまいます。

昨年の秋ごろに「もうバイクをやめさせよう」と決心したことすらありました。
だからその夢に修大が向かうのなら「パートナーにならなくては」と考えるようになりました。
それは既に修大だけの夢に留まっていなくなったからなんです。
レーシングライダーの修大」が走ってくれないと、私はサーキットへ行くことすらできなくなります。
親子という関係ではなく週末土日は「同じ夢に向かう男同士」の関係を貫いてます。
だからサーキットを離れた後は温泉も時々ホテルの部屋すら別々にすることがあります。

家庭内においても親子関係ではなくなりつつあるような今日この頃です。

私もクアガーデンで親子連れが楽しそうにしてる姿を見ると
長男、次男、三男の幼少の時のことを思い出します。
サーキットのクアガーデンには多くの思い出があります。
あの頃の「純粋に楽しかった頃の親子に戻りたい」と思うことも正直言ってあります。

しかし、「モータースポーツに魅了されすべてを懸けてやるんだ」と言う、
もう一人の自分の存在を感じてます。

取りとめも無く、思いつくまま記しました。
本当にありがとうございました。
2008年2月9日の雪は生涯忘れることができそうもありません。


写真は2009年12月6日

親子2人で闘う最後のレースを迎えた三男修大