限界との闘い

何年か前のことだろうか。
確か三男修大が小学1年生の時にバイクに乗ると意思を固め、
その年から年中毎週土日祝祭日はサーキットへ行っていた。

毎週末土日は修大と私はサーキットへ宿泊し、
そして長男智哉はレーシングチームでサーキットへ行き、
次男真也はボーイズリーグの野球のため家内と。
そんな生活を4年間程積み重ね確か、
修大が小学4年生になった時の頃にこんな日記を書いた。


「限界との闘い」
私はホームストレートに帰ってきた三男修大には、サインボードを使わない。
サインは2人で決めた私の指サインと、三男修大の瞳だから。
表情は繕う事が可能だが、瞳は決してウソをつかない。私はホームストレートを駆け抜ける一瞬の三男の瞳を決して、見逃さない。

ホームストレートの先には第一コーナーが待ち構えている。最終コーナーのクリッピングポイントからホームストレートを全開で駆け抜け、第一コーナー手前にいる私の前にやってくる。
「今日の課題はpapaのいる所まで全開に」とブリーフィング。
私は三男修大の瞳を逃さず、実は立っている場所を1歩、半歩、そして靴1つ分と第一コーナーに近づけて行く。
それは限界に挑戦するために次の周回も、また次の周回も。

その時、感じはじめる「サーキットの鼓動」を。
三男は、恐らく感じているであろう。少しずつ私が立っている場所を深くして行くことを。 だからこそpitで何も語ろうとせず、 ただマシンを見つめながら、 「チェッカードフラッグを受けるために、自分のすべてをかける」と決心し何度もコースインを繰り返す。

そんな「限界との闘い」を毎週末するために毎日「誰にも負けない努力」で挑んでいる。誰にでも夢はある。しかし問題なのは夢の実現に向けての「情熱と努力の量」である。ただ「ああなれたらいいなぁ」程度では夢は実現しない。「限界との闘い」それは、抱いた夢に挑戦する日々の「情熱と努力」の積み重ねである。



写真はその修大が小学4年生の秋。
HRCトロフィー全国大会、もてぎツインリンク決勝グリッド。
そのレースが修大と私の2人だけの最後のレースになった。